あの顧問に足りなかったもの
小・中・高・大と,それぞれの学生段階で,
ぼくは,部活動に所属していたんですね。
小・中は野球,
高は闘球(ラグビー),
大は排球(バレーボール)と,
ぜーんぶ球技でした。
その中で,なかなかきつかったなぁと思えるのは,小学校段階の野球部時代。次に僅差で高校時代のラグビーがランクインする。
まあ,気分によって,ここはランク変動あるんで悪しからず。
今日は小学校の時の部活動の話をちょっとしてみます。
兄の影響もあって,小4のとき,
野球部に入部したんですよ。
自分で言うのもなんですが,ぼくもそこそこうまかったんで,入部して数カ月でレギュラー入りできたんですね。
兄弟で右翼のポジション争いをしてた時期もあって,「これが本当のライト兄弟だね」ってママ友たちに言われてたのは,今となってはもうだいぶ昔の話。
ここまで読んで一見愉快な部活に見えたでしょ?
これがまたそうはいかなくて,
当時の部活動の顧問が,これがまあ,
めちゃめちゃ怖かったんですね。
打席に立って見逃し三振すれば怒鳴られるし,ちょっとでも手を抜いてプレイして,運悪くそのシーンを見られれば張り倒されたし,たまにバットのグリップで頭をコンっと叩かれるときもありました。これが地味に痛い。
言わずもがな,その部活動は,
「恐怖」で支配されてたんですね。
もちろん,その顧問が出張でとかで部活に来ないことがわかれば,もう,遊びまくりでしたね。部活には行くんだけど,みんなでサボりまくりでした。
今日くらいいいだろー!ウェーイ!
なんて言いながら。
ぼくは,「これが休暇ってやつか」なんて小学生ながら思ってました。
顧問のその日の機嫌は,毎回,
車の駐車位置で勝手に予想してました。
教職員の駐車場は,学校に来た順で前から埋まっていく。
遅く来れば,その分だけ,玄関までの距離が開くので,10m,20m,,場合によっては50m歩かざるをえないときもある。
だから,駐車位置が玄関から比較的近めなら,「今日は機嫌が良いはず。だって,そんなに歩かないもの」と安堵してたし,遠めだと,「今日絶対怖い日じゃん,マジか」と勝手に落胆していた。
顧問の機嫌を何かしらで推測しないとやっていけませんでした。
心のよりどころというか,鎮静剤というか。
とにもかくにもストレスフルでした。
と言いつつも,その顧問は大学でも真面目に野球をやっていた方なので,技術指導はうまかったんですね。
「今日は流し打ちを教えてやる」と言われ指導を受ける。
部活が終わる頃には,精度の高い流し打ちができていたんですね。
「内角低めの打ち方はこうだ」と教わる。
気づけば習得してるんですね。
「いいか,外野フライを取るコツはな,」
と教われば,わりとすぐにコツをつかんでいた。
でもなんでそれができたかを思い出すと,
おそらく,顧問に「怒られたくない」からなんですね。
怒られるのに慣れてないぼくは,怒られたらきっと泣いちゃうかもしれない。でも,人前で泣くこと(涙を見せること)は皆無だったんで,意地でもみんなの前で泣かぬよう,必死で食らいついていた。
うまくなろうという気は全然なかったんですね。
怒られたくなかった,ただそれだけ。
ぼく以外のみんなはどうかわからないけど,本気で自分が「強くなりたい!」と思ってた人,「このチームのみんなで試合に勝っていきたい!」と思ってた人,果たしてどれくらいいただろうかね。
ちなみに,チームは練習時間の割には,
大して強くなかったです。
今思う。あの顧問に足りなかったのは,きっと,
子どもたちに,心のゆとりを確保してあげること。
それだけな気がする。
それさえあれば,おそらく高校でも野球続けてたかなぁ。