教師が傷つく言葉

 

 

自分が持つ専門性を誰かに蔑まされたときのメンタルブレイクは、

なかなかキツイ。

 

例えば、小学校野球のピッチャーであれば

「球遅い」

ではないでしょうか。

 

レストランのシェフであれば

「おいしくない」

だろうし、 

 

お笑い芸人であれば

「あんまりおもしろくない」

でしょうし。

 

では、教師であればなんでしょうか。

 

「教えるの下手くそ」

とかでしょうか。 

 

まあ、黒板を使いながら教科書に書いてあることを

もっと噛み砕いてみんながわかるように自分なりの見解や解法、

話術やテクニックをふんだんに取り入れた

しゃべくりスタイルの授業者

であれば、そうでしょうね。

 

授業において、一斉授業(教師主導)をスタンダードというか

天長地久のものと考えていた過去のぼくとしても、当時であれば

そんなこと言われたならば、なかなか立ち直れなかったでしょう。

その言葉が脳内を駆け巡り、業務に支障をきたしているにちがいない。

 

でも、今、

「教えるの下手ですね」

と言われても、何にも感じない気がする。

 

何にも感じないは嘘ですね。

 

「そっか。悲しいな(笑)でも、ま、いいかな。」

と、自分の中でエキスパート・ノービス研究を引き合いに出して自己解決を図るでしょうね。

manabiai.g.hatena.ne.jp

そんなぼくが今言われてメンタルに来るものって

「(子ども)集団を信じる力、ないですね」

この一言が断然そう。

 

そりゃあ、

イジリとかではなく真顔で本心で

「人として終わってる」

「本当にダメな人だね」

なんて言われたら発狂してしまう。

教師として、言われて気が滅入るのは、

前述の言葉ですね。

 

理由は、『』を本来の教育の在り方だと捉えているから。ただそれだけ。