ぼくは一斉授業なんかやらない

 

「一斉授業をしてみて」

と言われても、ぼくは以前のように、司会者や役者を演じ切って、

子どもを楽しませるようなエンターテイメントのような授業は

もうできない気がする。

 

以前と言っても、太古というか10年前20年前の話ではない。

2,3年前のニュージーランドや地元の実習先、小規模校での出前授業のときのような一斉授業に遡るわけで..

 

あのときは、自分にスポットが当たっていて正直心地よかった。

子ども達も楽しんでいたし。

 

でも、質は保証できなかった。

 

30人中20人は楽しかったし、わかったとケッケッと喜んでいて、5人はまあまあかなという感じで、残りの5人はチーンという感じだった。

 

その事実を知っていながらも「全員理解」という義務を見て見ぬふりして、一斉授業スタイルを貫き通していたあのときの自分が末恐ろしい。

 

 

話は戻って「やってみて」と言われてできない理由としては、

まあ、厳密に言えば、やりたくない理由は、

生産性が少ない授業スタイルだとわかっているからだ。

 

理由は何度も過去のブログで書いてるから割愛するが、

人間関係構築・学力面から見れば、効率が悪い

ということを知っていながらやるのってなかなかキツイ。

 

犯人が誰かをわかった上で読む推理小説に近い。

 

「結末見えてるのになあ」

状態で何かをするってのは、キツイ。

 

あと、単純に恥ずかしい。

ぼくが楽しそうに生き生きと教える内容は、クラスの何割かはだいたい予習済みだ。

 

「なんでこの人こんなに張り切って教えているのだろう」

「あいにくそこはもう勉強してますよ」

と言わんばかりのあの目が大嫌いだ。

 

とは言っても、来年の職場環境次第では、

一定期間せざるを得ないかもしれない。

 

そこは折り合いをつけるしかないのかもしれない。