教育現場に立ったらしたいこと
ぼくがどっかの学年のどっかのクラスの担任を持ったら、教室の片隅に本棚を設置する。
適当に、オススメの本や辞書、図鑑の本たちと一緒に『』の書籍数冊も混ぜておくに違いない。
理由は簡単で、クラスの1、2割(上位層のこと)の子は、興味本位で読んでくれるんじゃないかと浅はかな期待があるからだ。
読ませるなんてことはしない。魚釣りのときと同じ感覚。
「かかった!(手に取った!)」となる瞬間を待つのみ。
さらに言えば、
「あぁ、この人(ぼく)がここまでしつこく言ってくるのは、
こういうことがあるからかぁ」
とぼくの力ではうまく言語化できない、あるいはいちいち口で説明してこなかった部分を、子どもたちが本から吸収し、理解することで、それを他の子へ伝えていってくれるのではないかと勝手に思っているからだ。
その方が、子どもたちは『』中のぼくの行動・表情ひとつひとつから、いろいろと察してくれるだろうから、何かと楽な気がする。
『』は技巧な手品や極秘マジックとかそういうショー(見世物)ではないから、その仕組みを子どもに公開して何が悪いと言うのだろうか。
マジックとかだと、誰にもその種を教えないから利益が全部演者に入る。
でも、『』は、その種をバラしたほうが自分含めた全体の利益になる。
誰も困りやしない。
もちろん、学習指導要領(またはそれについて書かれた本)を子どもたちに見せて、読ませて、
「ここに書かれていることを守ればどんな方法でやってもいいんだよ。
じゃあ、どういう方法で勉強すればいいかなあ。」
なんて問いかけて、自分たちの学習を子どもたちにデザインさせたいとも考えている。
結局はアルモノの取り扱い説明書を、そのアルモノを使おうとしている者たちに読ませて考えさせるのが、いいんですよね。