物忘れ≠削除
西川先生のもとに仕えて1年と数カ月が経っていた。
仕える、てなんかぼくがパシリみたいな感じになりますね。
かと言って、「お側に置かせていただいて」というのも、
納得がいかない。
まあ、「一緒に過ごして」でいいか。
そんな先生ですが、物忘れが激しい。
いや、これだと語弊があるか。間違ってはいないが間違っている。
物忘れというか、本当に必要最低限の情報しか自分の頭の中に入れていないのだ。
そりゃそうか。
いろんなものを同時並行で進めているから、いっぱいいっぱいなのだ。
スマホで言うところの「128GBの容量」であれば、
もうデータが満タン状態で、キツキツなのだろう。
必要ない記憶・情報をこまめに消去していくその姿は、
64GB容量のiPhone6Sを所有するぼくが消去していくその様と、同じだ。
「終わったものにグッバイ」
という面は、酷似している。
だから、
「ぼくの個人研究あるじゃないですか?あれって、」
で話を始めれば、
「待て。お前の研究なんて知らないぞ。説明してくれ。」
と叱責されるし、
「この間のOOプロジェクト(もう終わったもの)って」
と伺えば、
「なんの話?」
となる。
もちろん説明すれば、思い出し、的確なコメントをしていただける。
これ関連で個人的に面白かったエピソードは、
ある日、某県に『学び合い』飛び込み授業をするために、
ぼく(授業者)ともう一人のゼミ生(授業者)、参観希望のゼミ生数名が朝早くゼミ室で屯(たむろ)していた。
出発20分前くらいに、西川先生もゼミ室に顔を出しに来た。
ぼくには何も言わなかったのだが、
もう一人のゼミ生を見て、
「ん?OOちゃん(授業者)はなんでここにいるの?」
と真顔で聞いてきたのだ。
その日の授業者は、ぼくと彼であることは、
あらかじめ数回にわたって報告していただけに、爆笑モンだ。
それ以降、「お前忘れられてるね」
とずっと彼をイジっている。
先生にとって、
授業を「誰がする」は重要ではなく、
授業が「遂行されるかどうか」というあるものの結果だけが重要だったのだ。
「Yes or No」「するかしないか」とわかった段階で、
その飛び込み授業に関するデータはグッバイされたのだ。
でも、これから何もなければ何十年と生きるわけだが、
先生のように終わったものはスパッと葬り去る
器量が必要なのかもしれない。
じゃないと、情報で脳みそがパッツンパッツンになってしまう。
といっても、ぼくら人間のことだ。
USBのようなデータ保存デバイスを人体に差し込む技術が開発されているに違いない。
便利だね。
それはそれで怖いが。