自己肯定感は曖昧
自己肯定感に関する研究は、実はあんまり好きじゃない。
モヤモヤするんです。
この感情は、院に入ってからずっとあったものなんですが。
昨日お話した同じゼミ生も、きっとぼくと似たような感情があるはず。
自己肯定感の定義がそもそも多すぎる。
そして、人によってその定義・感じ方が違う。
それを測ろうとすること自体、ナンセンスな気がする。
なんだろ、目に見えるはずがない空気に向かって、
「あ、これ、昨日私が吐き出した息だ」
と言うようなもんかなと。
それくらい複雑かつわからないものだと思う。
仮に、
「〇〇式授業実践をしてみました」
↓
「じゃあ、実践前と実践後に自己肯定感の高まり具合をアンケートで測ろう」
↓
「お、変化あるね。この実践は効果ありだったみたい!」
と結論付けるのはどうも気が早いように思える。
この実践以外にも、その自己肯定感とやらを高める何かしらの要因があったに違いないわけじゃないですか。
何気ない母親との会話、
週に2回ある体育での出来事、
Twitterのタイムラインにあっただれかの呟き、
クラスで狙ってた子との思いがけない会話、
たぶんそういう日常にばらまかれている物の積み重ねが、実はそういった授業実践なんかより可能性を秘めている気がするんです。
ま、その実践は、日常にあるそれら出来事に出会う『きっかけ』程度にはなってると思うけど、その『きっかけ』は、測ることはできない。不可能です。
だから、曖昧さを多く含むその自己肯定感ってやつが、どうも好きになれない。
と言っても、周りと話を合わせるために、ぼく自身使ってはいるのですが。。