人間の相性、ICTの相性
連携校で使わせていただいているタブレット。
6、7台あるのだが、なぜか充電コードは3本。
それでも一回100%にすれば、ある程度使っても1週間は優に持つ。
流石です。
だから、うま~く交代制でそれらを充電している。
でも、最近気づいたのは、「どのコードとどのタブレットが接続悪い」、
という不仲説があること。
どんなに優しく、あるいは勢いよくぶち差しても、
例のあの右側に出る「充電してますよ」の印である緑の灯りがともらない。
「なんなんだこのコードは」と思いつつ、別のタブレットに差し込むと
「ファンッ」と音を鳴らし充電を始める。
ただの機械、されど機械。好き嫌いというか相性の良し悪しあるんだなぁと。
そんなとき、なぜかこれまでの授業・ボランティア等で担当してきたいろんな児童生徒の顔が浮かび、
ふと「あの子らの人間関係も、こんな感じだったんかなぁ」と
思ったりもする。
この世に人間関係ほど複雑なものはなくて、
万人に「相性が良い悪い」がある。
非難しているわけではない。
むしろそれはすんごい健全だと思う。
ぼくが、
「なんでこのコードはこのタブレットと相性悪いんだよ!ほら!(ブスッ!)なんで充電されないんだよ!!」
と無理とわかっていながら差し込み続けるのは滑稽でしょう?
それと同じように、教室内で教師が「みんな仲良く!」を子どもたちに強要するのも本当バカバカしい。
万物には、「相性」があることを知ってしまえば。
友達100人なんて、作らなくてOK牧場。
人間にはそれが無理なのは明らかなんです。
繋がれそうな人と繋がる、それでいいんです。