日々の何気ない全力投球のうちの一球に何かあれば。
昨日のブログの内容にちょっと付け足しで。
ぼく自身の力で
「なんとかして変えたい」と思う生徒がいたとして。
まあ,変えたいと言っても,ぼくの人生が滅んでしまうほどの献身(子への深入り)は絶対にするつもりはないです。
卑怯とかそういう話ではなくて。
シンプルに,その犠牲って持続性ないじゃないですか。
生徒の数だけ業がある。そして,それぞれ深い。
その数だけ,自分自身を犠牲にするのか,と。
全く以てナンセンス。不老不死の薬でも飲んだんか。
だから,それを美談にするような教師を見ると,
ひどく興醒めする。
「あんただけの人生ならいいんですが,ご家族は?ご両親は?しっかり放置すか?」て。まあ,人の人生にどうこう言うつもりはないですが,「俺はそうだった。だからあんたも!」という輩がいたら思いっきり卓袱台ひっくり返して無言でその場を去るね。
おっと,昨日以上に話が大きく逸れたね。
自分の力で変えたい生徒がいたとしたら,,
て話でしたね。
ぼくは,日々の中で大量の言葉を生徒に浴びせている。
(生徒が頭を抱え込まない程度にね)
全ての言葉に影響を受けてほしいとは思ってないし,
それが不可能なのは知っている。
一週間,一か月,半年,一年かけても,
ぼくの言葉に影響を受けないかもしれない。
それでも,内容を問わず,
思いを乗せて(←歌詞に出てきそう),全力で語りかける。
つまるところ,
的を目掛けて日々,全力投球をする。
何気ない全力投球のうちの1球だけが,
的のど真ん中に当たるようなそんな瞬間を
ずっと待ちわびている感じ。
ぼくの言葉に,普段反応しないくせに,
なぜかある一言でピンと反応してしまう。
そして,その一言以降,ポンっと行動が変わる。
そんなきっかけを与えられたなぁって。