人や場所によってウケは違う

同じ職場の若い世代(数少ない20代)4,5名とおしゃべりする機会があったのだけど,まあ楽しかったよね。

 

どちらかと言うと,「そういう状況にいるんだね」という意味で「相手を知る」絶好の機会だった。

 

「そういう人なんだね」という意味で,

「相手を知る」機会ではなかったかも。

 

両者の違いは,

後者の方が,より個人の内面を深く知れる,

そんなイメージ。

 

次おしゃべりする機会があれば,

後者よりの会話が展開できればいいなぁ。

 

表面的な部分を今回おさえられたとしたら,

今度は,相手のもっと深いところを知りたいと思ってしまう。

 

今現在,そんな関係性なもんだから,

未だに相手の距離感をつかめないでいる。

例えば,『どういう話の内容に笑ってくれるか』

が昨日はぼく自身の課題ででした。

で,密かに(自分の中で)探るのが楽しかった。

 

特に,「あぁ,この内容はウケが悪いのね」とか,「おっかしいなぁ,今までだったらウケる展開なのに微笑かぁ」とか,「そもそも話す雰囲気が違うなぁ」とか。

 

妙に話が空回るのを悲しみながらも,そのエラーをどうやって改善し,次回は話そうかなと,家に帰ってから考える。

 

この一人で行う改善作業が,めちゃくちゃ楽しい。

 

これまでの人生,「本当の故郷」「学生時代の第2・3故郷」「今の故郷」と,計3つの新天地を経験していて(生まれ育ちの故郷は抜いて),移るたびにこの作業を行っている。

 

ぼくがおもしろい人間かどうかは別として,

ぼくなりに「おもしろくなろう」としている。

そのたびにチューニング。

 

もし,一度離れたそれぞれの故郷に訪れて友人と話すことがあれば,時間をかけてチューニングした「笑い」を思い出し,最終的に楽しくお話しする。

「そうそうこれこれ!」って。

 

なんかあれだね,

スマホWi-Fi記憶機能みたいだね。