「誰が言うか」の実証例
「何を言うか」より「誰が言うか」は
本当だなってつくづく思う。
例えばぼく。
基本的にどの生徒も,
ぼくに対して心を開いている気がする。
全部ではないにしてもね。
と書きつつ,「んなわけねーだろ」と生徒に思われてたら,なかなか悲しいけれど,それもそれでいいか。まあいいや。
ぼく自身,自分が思ったこと,ダサいけど熱い信念,これまでの恥ずかしい経験等,常日頃包み隠さず生徒には赤裸々に話していることもあって,おそらく,「この教師は大丈夫か」と生徒らの心のゲートは半開き状態なのかなって。
そのうちの一人の生徒は,
どうも新任のぼくを気に入っているらしい。
ぼくによる説得・注意に対して,
「なるほど。わかりました。」
「そうなんですね,気をつけます。」
と,素直に受け入れる。
ただ,ぼく以外の先生,例えばその生徒が苦手な先生が同じ状況で話すと,「もういいです!」と一方的に拒み,その場から無理やり立ち去ることもしばしば。
好きでも嫌いでもない先生だと,,
んーどうだろ。空返事か。
生徒のそういった拒絶シーンを目撃したぼくは,
だいたいあとでフォローするんですね。
「また逃げてたね~(笑)」
と。それで,
「まあ,でもさ,」
と説得すれば,1時間後には生徒のそのエラーが修復,あるいは改善される場合が結構ある。
「先生が言うならそうだよな,って」という具合に。
「何を言うかじゃない,誰が言うか」ってこのことか。
話し方はやはり個人差が生まれるから別だけど,話している内容はおそらく,他の教員がするであろうソレとなんら変わりないはずなのに。
「個人 対 個人」で人と接する場合,
結局のところ,誰が話すかだよ。
相手に自分が嫌われてるなって思ったら,
一刻も早く身を引きましょう。
強引に近づかない方が間違いなく賢明。
相手に好かれている誰かを探すことから始めよう。
「個人 対 集団」は,それに関しては気にしなくてOK。
何割かの人はわかるはずだから。
誰もがポカンとしてたら,
そもそも自分の考えが間違っているか,
伝え方に抜け目があるかのどっちか。